社会にはさまざまな問題であふれています。都会で疲弊するばかりの働き方や、競争に勝つことが唯一の正義かのように語られるビジネス界、障害のある人たちが自分らしく働けない旧来の制度……。インターミディエイターはこのような問題に対して、異なる世界の「あいだ」に立ってさまざまな領域を媒介し、対話と協働を促しながらイノベーションを起こしていきます。
インターミディエイターたちが、現場ではどのような実践をしているのか。それを語り合う場が「Dialogue with Intermediators」(現「Polyphony」)です。第1回は、地域 × ICTで地方創生のモデルをつくった星野晃一郎さん、競争するビジネスに違和感をおぼえ、対話重視の協働型ビジネス論を学んだ松原朋子さん、そして肩書にとらわれず「非定形」な働き方を目指す鈴木悠平さんという3名のインターミディエイターが、活発なダイアログを行いました。そのイベントの様子をレポートします。
まずは星野晃一郎さん、松原朋子さん、鈴木悠平さんの活動紹介から始まりました。
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リモートワークが当たり前でなかった10年前、徳島で生まれたサテライト・オフィス
星野晃一郎さん:
私は東京に本社のあるダンクソフトという会社の代表取締役をしております。IT技術を使って「コミュニティの再生」を推進している会社です。この写真を見たことのある方はいらっしゃるでしょうか。
これは徳島県神山町にあるサテライト・オフィスで働く社員の様子です。2011年12月、NHK総合テレビ「ニュースウォッチ9」に取り上げられて大きな話題になりました。なんで東京の会社が徳島県にサテライト・オフィスをつくったのか、その理由をお話しようと思います。僕は両親ともに東京生まれです。1956年生まれですが、60年近く前の東京って環境が悪かったんですよ。神田川はメタンガスがぼこぼこ涌いていて臭い。いまでこそ人気な湘南の海も当時は汚くて、幼少期の僕は、海も川もあまり好きではありませんでした。
いまの会社で働き始めてから、その見方が変わる経験がありました。2010年頃、社員のひとりがアトピーになって会社に来られなくなったんです。彼は出社せずに、海の近くの地域からオンラインで仕事をするようになりました。するとしばらくしてアトピーが治った。そのきっかけは、海に浸かることだったってことなのです。
そんなことを聞いたので、自然の大切さを学ぶべくいろんな実験を始めました。そのひとつに、自然豊かな環境で首都圏の仕事ができるリモートワークの拠点を伊豆高原につくるプロジェクトがありました。いまでいう「ワーケーション」ですね。当時、我々は「リゾートオフィス」って呼んでいました。
その翌年が、東日本大震災の年です。僕たちは首都圏への一極集中のリスクを感じて、徳島県神山町に本格的なサテライト・オフィスをつくり始めました。冒頭の写真がその光景です。放映当時は、震災による閉塞感がとても強かったので、「遊ぶように働く」という選択肢が大きな反響を呼びました。その後、総務省がさまざまな場所にサテライト・オフィスの開設を支援するようになったり、徳島県神山町が地域創生のシンボルとして取り上げられたりして追い風に乗っていきました。いまは他にも、北海道の別海町や、山口県萩市、徳島県阿南市で実験をしながら、その地域の再生をお手伝いしています。
見えづらい「調整役」はなぜ評価されないのか
松原朋子さん:
私は2006年から、日本マイクロソフトのCSRチームとして、CSR事業を統括していました。CSRチームは、社内さまざまな部門の担当者と連携した「クロス・グループ」です。同社が持っているビジネス・アセットをまとめてパッケージ化して、全国の自治体に提供する「地域活性化協働プログラム」を展開するなど、社内で縦横無尽に協働するなかで、大きなアウトカムが出ました。
在籍中、日本のCSRチームは世界110カ国にあるマイクロソフトのCSR部門の第1位として、2回表彰されました。2015年には、会社が第3回「日経ソーシャル・イニシアチブ大賞」のファイナリストにも選出されました。社員にもこうした活動は響いており、社員満足度調査での「わが社は社会に貢献しており、私はそれを誇りに思う」という項目が毎年2ポイントずつ上昇する結果も出ました。
CSRチームとして実績を上げ、社内外で評価が得られたのにも関わらず、私には大きな違和感がありました。それは、給与等を決める人事査定においては「調整役」が評価されなかったことです。社内の風潮としては数値ゴールという結果がすべてで、他者を助けて協働するという能力は評価の対象外でした。さらにいえば、競争を強いられて心身を壊す人に対しても「彼は弱かっただけだね」「ゲームに負けたんだね」と切り捨てられてしまう空気もありました。
「インターミディエイター」という言葉に出会ったのは、マイクロソフトをいったん離れようと思ったときです。インターミディエイターは、対話と協働を通して価値を生み出していくチームの要となる人。人の前や上に立って人々を引っ張っていくリーダーとは違って、人のあいだに立ち、自分の両側にいる人たちと手をつなぎながらイノベーションを起こそうとする人のことです。これは、私が知っていた競争戦略論とはまったく違う考え方でした。
こうした考え方に感銘を受けて、私はインターミディエイター・プログラムを主宰する設楽剛事務所で働くようになります。いまの私の仕事は、さまざまなものの「あいだ」に立つことです。従来のビジネス・パラダイムとこれからのビジネス・パラダイムのあいだに立って、新しいパラダイムを経営者の方々や行政・NPOのみなさんに伝えること、経営者とスタッフのあいだに入って社内コミュニケーションを円滑にすること、企業と生活者のあいだに入って企業の社会的価値を高めること。「インターミディエイター」という概念に出合って、自分のワーク・スタイルに大きく自信がもてました。
「非定型」な働き方を目指して
鈴木悠平さん:
2年前に独立して、株式会社閒(あわい)という会社を立ち上げました。屋号の「閒(あわい)」―「間(あいだ)」という意味です― の通り、ひと・もの・ことの「あいだ」にある課題や価値に注目していくつかの領域でプロジェクトを運営しています。同時に、大学院の博士課程にも所属しており、また重度訪問介護のヘルパーとしても働いています。介助の現場と、研究と、事業のあいだを結んでいこうと、僕自身も複数の肩書き・足場を持って非定型な働き方を実践しています。
医療の発達などで、病院にいなくとも人工呼吸器などを使って自宅で暮らせる子どもが増えています。必要な支援サービスはさまざまあるのですが、医療、福祉、教育とセクターごとにバラバラになりがちという問題があります。その三者をつなぎ、ご本人とご家族がより良い暮らしをつくっていく方法を探究しています。子どもだけでなく、成人期以降の就労にも課題があります。既存の雇用システムのほとんどは「五体満足な健常者が1つの組織に勤めること」を想定してつくられてきましたが、そこにフィットしにくい心身の特性を持っている人たちも多くいます。そうした人たちの働く選択肢を広げるべく、「分身ロボット」「介助付き就労」「パラレルワーク」などさまざまな取り組みがうまれています。これらを取り入れた新しい多様な働き方を社会に実装していきたいと考えています。
“パエリア”が人と地域を結びつけた
松原さん:
「インターミディエイター」と一言でいっても、3人はそれぞれまったく異なる分野で働いていますよね。
星野さん:
ここまでの話は、僕たちという人間がインターミディエイターとして活動するものでしたが、モノもインターミディエイターになりうるのがおもしろいと思います。僕の場合でいうと、パエリアです。近所にあるスペイン料理のシェフを神山町に連れて行ったことがありまして。徳島の食材を使ってもらえないかな、と思って。パエリアって、お米を使った鍋料理なので日本中のおいしい食材をあわせることができるんですよ。そうすると、神山町では、阿波尾鶏という地鶏を使ったパエリアや、和牛と根菜を使ったパエリアなんかが生まれたんです。
松原さん:
パエリアという食べ物が、人と地域を繋いでくれるインターミディエイターになったのですね。
AかBかではなく、新たなCの方向性をつくりだす
鈴木さん:
僕ら3人の活動領域は違うけれど、あれかこれかという二択ではなくて、その「あいだ」を結んで課題解決するというのは同じなんですよね。僕が関わるところだと、福祉に携わる人と企業で働く人とのあいだに距離があったりします。でも偏見が生まれるのって、お互いのことを知らないせいなんですよね。だからそれぞれの事業や制度を理解しあえば、その溝は埋まると思うんです。
松原さん:
「あいだに入る」というときには、誰かの味方をしてはいけないんですよね。たとえばAさんとBさん、A社とB社のあいだに入ったとき、どちらかの肩をもってしまうとインターミディエイターではなくなってしまう。Aの立場も、Bの立場も共感して理解する。そのうえで、第3の方向を作っていくように私は心がけています。
星野さん:
いまの松原さんのお話は、身につまされますね。伊豆高原で事業を進めていたとき、海のコミュニティと山のコミュニティのどちらにもいい顔をしたせいで地元の人たちと折り合いがつかずに撤退したという痛い経験があります。
鈴木さん:
インターミディエイターで大事なのは、「どっちつかず」とか「傍観するだけ」ではないことだと思います。意思をもって関与していくのが欠かせません。
松原さん:
そのとおりですね。自分の意思をもって方向性を決めるというのがインターミディエイターの腕の見せどころ。もしそれができないと、ただの調整役で終わっちゃいます。
意識して「未来」を語る、すると共感が生まれる
星野さん:
もうひとつ重要なのは「意識して未来を語る」ということだと思います。未来を一緒に見られれば、対立関係にはなりません。都会から離れたところにサテライト・オフィスをつくるとき、通信環境がよくないと無理ですよね。10年以上前って都市部の通信は遅かったんですが、それ以外のところは地デジ化のタイミングでほぼインターネットを導入していたので、YouTubeがサクサク動いたんです。だからYouTubeはテレビみたいなものとして受け入れられていた。東京よりも神山町のほうがネット社会を先取りしていたから、向かうべき未来が地域のみなさんにも共感してもらえたのだと思います。
鈴木さん:
それに付け加えたいのが、未来を見せつつも、その未来というのは決して一部の人だけではなく「みんなに開かれた」ものなんだって伝えることだと思うのです。たとえばALSの患者さんで分身ロボットを使って、自宅にいながら働いている人たちもいます。けれど、そういう人たちの姿を見たときに「あの人は特別だから」「自分にはできない」と、少しネガティブな気持ちを抱いてしまう人も中にはおられます。情報や支援を得にくい環境にいたり、就労しようにも日々の生活がまだ安定していなかったりといった格差はどうしても生じます。ですが、瞬時に全ての人に行き渡るわけではないけれど、誰かが新たに切り開いた方法を、メディアを通して共有したり、制度や事業に落とし込んだりすることで、より多くの人に広げていくことは可能なはずです。過去と現在、未来という時間軸と、個人や地域や国という空間軸、色んなスケールで物事を捉え、多様な人達と対話しながら開かれた未来をつくっていきたいと思っています。
「自分ごと」として協働していく
星野さん:
それぞれが自分の持ち場でなすべきことやっていくと、その場が変わっていくということってありますよね。僕は日本パエリア協会理事として、「パエリア祭り」というイベントにも関わっていまして、そこで忘れられない出来事がありました。
国際パエリアコンクール日本予選が開催されたんです。全国から集ったシェフたちが決まった食材でパエリアを作るのですが、それで作られたパエリアはコンクールの審査用なので来場者は食べられないんですよ。
でもそれに来場者が腹を立てて、会場にいるボランティア・スタッフに怒りをぶつけているんです。どうしようと思っていると、突然、笛の音が聞こえてきました。スペイン系のイベントなので、フラメンコ・ダンサーが来ていたんですね。そこにはもちろん音楽隊もいた。その音楽隊が、怒っている人たちに近づいていって静かに笛を吹いたんです。すると、見事にその場が収まっていくわけ。
上の人たちがリーダーシップをとるのではなく、その場にいる人たちが自然発生的に場を作っていくのはすごい。それぞれの人たちがインターミディエイターのマインドセットをもっているとうまくいくという印象があります。
鈴木さん:
面白いですねえ。料理を作る人、会場整理をする人、笛を吹く人、それぞれが当事者意識を持っていたから、なにか足りないものがあったときに、その場その場で埋められたのでしょうね。
言い換えれば、コミュニティのなかにすでにリソースはあるんですよね。誰かが何かを命じなくとも、みんなが自分ごととして関われる雰囲気があれば、課題は自然に解決されることはよくありますね。
松原さん:
インターミディエイターって、「次の展開をつくる人」。単なる調整役やファシリテーターとは違うのは、イノベーティブな動きを生み出すところです。誰かがインターミディエイター的な動きができれば、どんどん新しい変化をつくっていけそうだなと思いました。
ダイアログを終えて
参加者も飛び入りで感想を寄せてくださいました。
「『未来を一緒に見ると対立関係にはならない』という言葉がいちばん印象に残りました。自分がリーダーになりたいという人たちに対して悩んでいましたが、その人たちに未来を見せてみようと思います」という仕事に活かそうという声や、
「誰かを批判せず、しかし肩入れもせず、つねにその人の立場に立って言葉を引き出そうとするという意識は、初対面の方にインタビューをするアナウンサーという仕事にも近いものを感じます」という共感の声が寄せられ、さらなる対話が広がりました。
自然が嫌いだった社長は、アトピーを患った社員の立場になってみることで自然に価値を見出し、サテライト・オフィスの先駆けとなった。日本マイクロソフトのCSR担当者は、多様な人たちとの対話の可能性から次をつくり、経営者であり研究者でもある介助者は、それぞれの「自分らしい働き方」が生まれるべく物語を紡ぐ。どんな場でもインターミディエイターは未来を切り開くことができるのだと、勇気づけられるような対話の時間となりました。
執筆:梅澤 奈央
編集/企画:鈴木 悠平、松原 朋子
スピーカー・プロフィール
星野晃一郎さん
株式会社ダンクソフト 代表取締役 C.E.O.
1956年日本橋生まれ。1982年より独学でプログラミングを学ぶ。1986年9月株式会社デュアルシステム(現ダンクソフト)代表取締役 就任、1986年10月に(社)東京ニュービジネス協議会へ入会し、長年理事を務める。1987年に特種情報処理技術者を取得。OS、通信ネットワーク、セキュリティー、DB、AIなどオールマイティーなエンジニア。経済産業省、厚生労働省、総務省等より受賞多数。その他、デジタル庁 デジタル推進委員、 総務省 地域情報化アドバイザー、日本パエリア協会 理事、中央エフエム 社外取締役・パーソナリティーなどをつとめる。
鈴木悠平さん
文筆家 / 株式会社閒 代表取締役
東日本大震災後の地域コミュニティの回復と仕事づくり、学ぶことや働くことに障害のある人や家族を支援する企業での現場支援や研究開発、メディア運営等を経験したのち独立、2020年に株式会社閒を設立。医療的ケアニーズや重度障害のある人たち、罪を犯して刑務所に入った人や出所した人たち、精神疾患や依存症のある人たちなどのリカバリーや自立生活に向けた支援に携わりながら、「生活を創造する」知と実践の創出・展開に取り組む。
松原朋子さん
設樂剛事務所 業務執行役員
2006年以降、日本マイクロソフト社長室にて、企業市民活動(CSR)およびCSRコミュニケーションを統括。地方自治体との協働で、地域の新たな担い手を養成する「地域活性化協働プログラム」を新規開発、推進(第3回 日経ソーシャル・イニシアチブ大賞 ファイナリスト賞)。 現在は設樂剛事務所にて、次の時代を支える新しい「物語」を提示しながら、革新型経営者たちや様々な領域のクライアントとともに、この先の「未来構想」創出に取り組む。「世界構想プログラム」事務局。
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