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NARRATIVES
BY INTERMEDIATORS

執筆者の写真インターミディエイター事務局

「刑務所アート展」を訪ねて:2分化された世界を感じ、エンパワリングを考える

大粒の雨が降る北千住で、ふたりのインターミディエイターたちが待ち合わせた。場所がわからずさまよう松原を見つけた上杉が、的確な方向感覚で現地までナビゲーションをする。不足を補いあいながら協働するインターミディエイターの姿勢が、こんなことにも現れているねと笑いながら、ふたりが目的地に到着したのは、待ち合わせからおよそ30分後の14:00だった。

 

目的は、「刑務所アート展」だ。Prison Arts Connectionsが主催し、今年で2回目の開催となる展示会だ。この意義をより広く届けようと、同じくインターミディエイターの鈴木悠平氏が関わっている活動だ。昨年の「インターミディエイター・フォーラム」に参加された黒木萌氏も、中心メンバーとして積極的に推進されている。そのため、このインターミディエイター・コミュニティから、第2回展示会に向けたクラウド・ファンディングへ協力したメンバーも少なくないようだ。


第2回刑務所アート展の入り口、北千住

 

刑務所とは何か。上杉も松原も、その予備知識がない状態でギャラリーの受付に足を運んでいた。そのふたりが、いちばんに手に取ったものが、受付の横、主催者挨拶よりも手前に展示されていた、あるリストだ。そこには、刑務所内で所持が許されているグッズが、刑の重さや性別など細かな規定により分類されていた。そして、今回応募された作品制作で使われただろうペン、絵の具、墨汁、画用紙、ノート、クレヨンなどのアイテムが、壁に飾られていた。



刑務所アート展に展示された画材や文具

 

刑務所とは、なんらかの罪を犯して法律上の制裁を課された人たちを、決められた期間、収容、監禁しておく場所のことだ。その刑罰は自由の剥奪を内容とするため、「自由刑」と呼ばれる。ここからもわかるように、刑務所の中では、人間としての自由はない。あるのは、さまざまなものが制約され規定された閉じた空間だ。もちろん、表現のために使用できる道具も、そこでは限られている。

 

 

内・外の隔たりを感じさせるギャラリー空間

 

上杉: やはり内・外の隔たりというか、制限とか制約っていうもの感じる場所でしたね。筆記具とかボールペンなども、色の種類もふくめ、全部が条件付きで。たとえば学習目的でないと使用が許されないとか、金額制限など色々なリミットがあることがわかりました。刑務所内の写真が展示されているところでは、塀が高いから日があまり入らず、わずかにできた日だまりに人が集まっている写真もありました。

 

松原: そうですね、知らない世界がそこにありました。今回、Prison Arts Connections代表の風間勇助さんにお話がうかがえたのはよかったですね。


上杉: 数としては、全国に66カ所の刑務所があり、そこに36,000人の受刑者がいる。そのうち、29の刑務所から52名が参加して、135もの作品が集まったとのこと。少なくない比率ですよね。言葉での表現も扱っていました。短歌や俳句、小説、エッセイ、書道などなど、様々な形で参加が用意されているというのも、絵が描ける人達に限らず、参加のしやすさにつながっていたのではないかと思いました。

 

松原: 今回のアート展は、マザーハウスという受刑者との文通支援をしているNPOを通じて、団体と関わりがある800人へ参加を呼びかけたそうですね。家族との接点も薄れ、マザーハウスを通じての“文通”ぐらいでしか、他者とコミュニケーションをとることができない孤独な方々の比率が高い可能性があるということでした。

 

上杉: そういう意味で、“手紙”っていう手段が、外と唯一つながれるものだったんだなという発見がありました。今回はそこへ、“アート”という、より多様な形を媒介に、外と関われるきっかけができたということで、ものすごく新しいし開かれているなと思いましたね。


松原: 閉じた世界で、何が行われているのか知らない。それは嫌じゃないですか、と風間代表が問題意識を語られていましたね。開かれて、社会が関心を持ち続けることを願う、と。

 

上杉: ですね。家族や他者との接点が限られている方であればなおさら、この場に意味がありますね。受刑者ご本人の言葉で、「開かれたものでありたい」と記されたものがありました。このアート展が、外に開かれた場所、新しい接点になっているのですね。


第2回刑務所アート展
受刑者たちが作品を送った封書の展示。外の世界と自分を媒介するメディアである

 

ギャラリーを後にしたふたりは、渋谷で17時という次の予定に間に合わせるため、雨の北千住に名残を惜しみながら、足早に千代田線に乗り込んだ。たったいま見て感じてきたばかりの刑務所アート展をめぐって、ふたりのメトロ・ダイアログがはじまった。

 

 

作品から感じる受刑者たちの多様性

 

上杉: 一方で、展示されている作品を見ると、いろいろあるなって思って。「多様さ」みたいなものも、感じました。

 

松原: 風間代表が、受刑者の描いたものと聞くと、暗い・怖い表現が多いと思われるが、意外と明るいものもあるんですねと言われるのだと、おっしゃっていましたね(笑)。

 

上杉: けっこうポップなものもありましたよね。見る側が、ステレオタイプで見ちゃっているということもあります。



第2回刑務所アート展の第1部、絵画の部

 

松原: 風間代表としては、そういう固定化されたイメージを払しょくすることにも意味があるとおっしゃっていましたね。

 

上杉: それと、道具が限られているっていうことが、表現にも大きく表れているなと思いました。鉛筆が取りあげられ、シャーペンで書きましたっていうコメント。でも濃いシャーペンの芯がないから、本当は6Bぐらいの濃いやつを描きたいのにHBとかで細かく描いていた。表情など繊細な部分はやっぱり薄くならざるを得ないような絵を見ていて、表現の方法などにも刑務所ならではの部分が浮き彫りになるのだな、と。

 

松原: 覚えています、女性が帽子をかぶった絵でしたね。


 

手書きの作品カードは、受刑者の「身体の痕跡」

 

アート展の入り口を入ると、右手から第1部、絵画の部が始まる。続いて、書道。そして、奥に足を運ぶと、第2部は死刑囚の描いたアートが展示されている。そして往路には、エッセイ、短歌・俳句など、文字での表現が並ぶ。エッセイを読み上げた音声がギャラリーに流れていて、音での表現が会場を包み込む。展示を見ていると、ときおり、印象的な強い単語たちが、音の束になって耳に飛び込んできた。そして、刑務所の内側、追いやられた社会の外側がどのようなものであるか、数枚の写真とキャプションで伝えている一角が用意されていた。もの静かに壁の厚さ・高さを感じさせた。



第2回刑務所アート展

 

上杉: 2分法思考」というか、まさに内と外に分けられた世界というか、犯罪者と犯罪していない人という2分化された世界のなかで、何かを感じている方たちのアート表現なんだなと思って。

 

松原: 家族や他者との結節点がなくなってしまい、孤独の中に生きる人たち…。本当に、刑務所の中の世界は、今日まで知らない空間でした。

 


ふたりが注目したのは、作品に添えられた手書きの作品紹介カードだった。今回、第2回のアート展を企画するにあたり、アクセシブルなウェブをつくり、ウェブでも全作品が見られるように、デジタルを駆使して工夫をはかったそうだ。しかしその流れにあっても、あえて、デジタルを使わず、アナログの質感を残したくて、風間代表が残したものが、手書きの作品紹介カードだった。その筆跡などから感じ取られるものは、受刑者たちの「身体の痕跡」だと、風間代表は表現した。


 

上杉: やっぱり手書きの作品紹介を残しておかれたのはいいですね。ご自身のお気持ちを書き連ねているのもあれば、何か伏せながらっていうんですかね…。お一人お一人の説明を読むだけでも、その筆跡や筆圧や書き方や、いろいろな角度から見て、様々な心境を感じました。

 

松原: 私は書道で参加していた方が印象的で。

 

上杉: ああ、でしたね。じっくり読みました。

 

松原: 20年ぐらいもこの暮らしをしているけれども、無期囚の自分の努力なんて石に降り注ぐ雨粒ほどでしかない。けれど、そんな中でもできることをしたいっていうようなニュアンスに聞こえたんです。書道の作品からも、作品カードからも、あふれるものを受け取りました。その方の願いが叶わないとしたら、なんか辛いなって思っちゃったんですよね。なので、こういういうアート展を媒介に、そういう方々の作品が誰かの心に響くとか語りかけることがあること自体、彼らに社会参加の形をつくったことになるのかな、と。

 


第2回刑務所アート展で手書きの作品カードを読む

上杉: このアート展は刑務所アートっていうことで、受刑者とか刑務所とか罪というようなカテゴリーの中のことだと思いがちですが、実は、それを色々な他の分野にも置き換えてみることができる。そうすると、そう遠くもない話なのかなとも思いました。例えば、普通に働いている人の中にも、会社の仕組みにとらわれすぎていたり、アート展に出展した方々と近い感覚ってあるような気がして。要は、何のために生きているのだろうとか、いま働いているけど何のためにやってるんだろうとか思ったりすることって、あるんじゃないかな。会社で売上というひとつの方針や基準みたいなものにとらわれて働いていくことと重ねて想起する方もいらっしゃるんじゃないかな。まあ、会社員時代の自分もそのひとりだったかもしれないですけれども。アート展を見た皆さんが、どういう感じ方をしたかも、聞いてみたくなります。

 

松原: 最終日には哲学対話があるようですね、小グループでダイアログするみたいですけど、面白そうですね。

 

 

受刑者による「未来語り」の可能性

 

上杉: 見た中ですごく印象的だったひとつが、コロナの不正受給で捕まっちゃったという方の散文でした。

 

松原: エッセイは後でじっくりウェブで読もうかと思って、見逃してしまいました(笑)全作品をウェブのギャラリーでも鑑賞できるようですね。

 

上杉: 社会復帰促進センターに入ったが、その人は再就職先が見つかって出られたし、場所もすごく恵まれていたと書かれていて。で、その後でセンターの現状や、加えてどういう風になったらいいかという未来語りがあったりしたんですよ。それが数ある作品の中でも珍しくて印象に残りました。20代の同囚たちに話を聞くと、「仕事というと土木系の現場仕事しかなくて、それが嫌でお金欲しさに犯行に走った」という話が多くて驚いたとのこと。でも、本当はもっといろいろな可能性があるんだよと伝えたい、というようなことを書かれていました。もっと選択肢があることを気づかない人たちが多くいるなど、そういう現状が冷静に書かれていたものだったんですよ。


松原: へー、おもしろいですね。今回は性別や年齢や刑期などが伏せられていましたけれど、その方は刑が軽い人だったのかもしれないですね。

 

上杉: その方は、企業側がダイレクトに受刑者とコミュニケーションしてスカウトできたりするような仕組みがあったらいいんじゃないか、というようなことも提案していて。中身がどうというより、新しい可能性というか、これからに向けて考えたことを言葉にしたり、表現されていたというのが、すごく嬉しいなと思ったんです。

 

松原: 今の話から思い出したのが、以前、「生命論マーケティング」の講義で、脱・競争論の流れで紹介のあった『ブルー・オーシャン・シフト』です。マレーシアの刑務所で新しい取り組みが始まっているというケースがありましたよね。官民が連携して地域更生プログラムをつくって、社会参加を促すしくみが新しいということでした。更生のために面会も増やすという、今までの常識を覆す方法で成果を上げていると。もしかすると、日本の刑務所をめぐるシステムも、もっと開かれて新しいものになる可能性があるのかもしれませんね。

 

上杉: そうですね、本当にきっと。受刑者アートから感じるのは、すごく自信がなくなったり、罪の意識を通じてでしか自分を感じられない方も多いのかな、と。他にも、いろいろしていたことがある自分もいるし、これからを生きる自分もいるでしょうし、未来に向かって何かを思える場所とか、何かが少しでもあったらいいなと思いましたね。


 

刑務所アート展は、“エンパワリング”の循環を生み出すのか

 

気が付くと、北千住から乗車した千代田線が、もう目的地の表参道に着こうとする頃だった。メトロの中で繰り広げられた、刑務所アート展をめぐるふたりのインターミディエイター・ダイアログも、そろそろ終盤にさしかかっていた。

 

松原: 私の場合、前職はマイクロソフトだったものですから、そこは白黒はっきりつける文化だったんですよ。明確なルールがあって、ダメなものはダメで、切り捨てて次に行くみたいなところがありました。ですので、昔の私は今よりもっとそういう感じだったわけなんですけど(笑)。でも、この「インターミディエイター・プログラム」で設樂先生から大事なことを学びました。誰もが失敗してしまうことってあるじゃないですか。だけど、そういう時こそ本当にその方々をエンパワーされるんですよね。そういう先生の姿を見ていて、なんだかすんごいなと思ったんです。一度何か失敗してしまったからといって、社会に戻れないのではだめだ、と。再び生きていかれない社会ではだめだとおっしゃるんですね。そういう、善悪という2分法で単純に切り捨ててしまうのではない、人間にとって大事な価値観を先生から学んだところがあります。

 

上杉: そういった善悪、白黒、など明確に2つに分ける文化は、制約だらけの刑務所に通じるものがあるかもしれませんね。これはいい、これはだめ、と明確な線引きがあることを、アート展の作品や手書きメッセージなどからも感じました。

 

松原: そうですよね。そうすると、塀の中に入ってしまうと、人の役に立ちたくても対象になる相手もいなかったり、毎日同じ暮らしの中で未来など自分にはやって来ない気持ちになってしまったり。社会から隔離されて自由を奪われ、もんもんと生きなきゃいけない環境は、果たして人間回復につながるのだろうか。エンパワリングは発揮されているのか、など、結構その辺を考えちゃいました。上杉さんは、他には印象が残ったことがありましたか?

 

上杉: 人はインプットするだけじゃなくて、いろいろ外に出してったりすることとセットで生きているのだと思うんです。そのアウトプットにいろいろなすごい条件がついていたこと。私も音楽表現や言葉の表現に携わるものとして、何とも言えない思いがするというか。それと、やっぱり同じ場所でずっと生活し続けているがゆえの、滞っている感じというか、うずうず巻く感じというか、何か凝縮された筆跡を感じる作品が多かった気がしています。


松原: そういうものもありましたね。


上杉: ”学習とは、行動パタンを変えること”、という学びがありますが、変化し続けていくこと自体が、人が生き生きすることと繋がります。しかし、選択肢が減らされたり、評価とか正しいあり方が一方向に決めつけられちゃう環境によって、やっぱり苦しくなってきちゃうよな、と。それをダイレクトに言葉にする人もいて、作品カードのところで吐露していた方もいましたし。本当に審査員の方に届いてほしいというメッセージを、言葉で書いている方もいましたね。 松原さんは、他にはいかがでしたか。

 

松原: まだまだあるんですけれど(笑)。 入ってすぐ、3番目ぐらいの作品で、真っ暗闇によろよろした手が光を求めている絵。注釈には、「私は刑務所に入るまで命令がないと行動できなかった。刑務所に入って、もがいて、正解を自分で考えられるようになれるのかな」と書かれていました。インターミディエイターの学びからすれば、「正解なんてないのだから、多様な人たちと対話して見つけていけばいい」わけです。でも、描かれているのは、か細い一人の手だけ。実際には、これからの課題解決・価値創造は、複数の人の手が重なってこそできるわけですよね。だから、これからは対話が大事だそうですよと、この方に伝えて差し上げたいと思ってしまいました。 


第2回刑務所アート展

上杉: 私も、全体から、新しい考え方などは、到底入ることのない環境なのだろうかと思いました。更生するということが、ここではキリスト教徒になるということなのか、ということも。宗教画も多かったですしね。

 

松原: そうですよね。エンパワリングとは、対話であり協働であり、そのプロセスにかかわることで人間回復がおこっていくと、インターミディエイター講座の中で学びますよね。更生=エンパワリングとするならば、もっと対話の機会が必要なのではないかな。

さらに、奥に展示された死刑囚の作品のあいだに、「対話させてください」と願う手記が張られていました。死刑が決まり制限がかかって、いつも対話していた人との対話ができなくなったそうです。人の役に立ちたいという受刑者のコメントも、どこかで見かけました。

すべての自由をはく奪することが、人間の更生につながるのだろうか。例えば、インターミディエイターの考え方をお裾分けできたら、彼らの苦しみを少しでも取り除き、人間回復と社会参加への道を後押しできるだろうかと。展示を通じて、「エンパワリング」問題として考えてしまった(笑)。そんなふうに、いろんなところで、感じいるところがありました、本当に。

 

上杉: だからこそ、このアート展を媒介に、彼らの作品が展示され、思いが表現され、さらに、ここからのフィードバックがまた彼らのもとに届くという循環が貴重なのだと、私も感じましたね。

 


「雨の北千住・刑務所アート展ツアー&ダイアログ」はこれにて終了。ふたりのインターミディエイターたちは、半蔵門線渋谷駅のホームで別れを告げ、それぞれの方向に散り散りになった。わずか2時間半の刑務所アート体験とダイアログが、今日までまったく知らなかった世界と課題を、身近なものに変えてくれた。

 

今回開催された第2回アート展は、風間代表をはじめ、数名のメンバーがチームとなって運営しているという。昨年よりも作品審査員の厚みも出て、アクセシブルなウェブもつくられ、クラウド・ファンディングの協力者も広がったという。風間代表が描く、閉じた世界が開かれて、社会が関心を持ち続ける状態に、一歩も二歩も近づいた2024年になったのではないだろうか。



第2回刑務所アート展の受付

 

ダイアログ:上杉公志、松原朋子

文:松原朋子

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