ビジネスを含め、およそ人間の共同社会は「関係の網の目」の中で成立しています。とりわけ、人間・機械・自然の協働は、人類共通の重要課題です。
だからこそ、その「あいだ」に立って、破壊され、毀損され、失われたリンクの数かずを修復、再生、再創造するモノやヒトが必要です。「あいだの知」を担う媒介役を 「インターミディエイター( intermediator )」といいます。誰かの上か前に立とうとする “ 強いリーダー ” ばかりを探し求める人にとっては、じつに見えにくいタイプの存在です。
本連載では、この「インターミディエイター」の考え方に通じるプロジェクトや展望をお持ちの方々をお招きし、お話をうかがっていきます。
第2回は、「インターミディエイター」(有資格者)として活躍する、中川桐子さんです。プログラム参加者からは「桐子さん」の愛称で親しまれています。
[プロフィール]
中川 桐子さん
セレクトライン代表
スモールビジネス・サポーター
インターミディエイター
1995年、津峯観光株式会社勤務時に地元である社団法人阿南青年会議所へ参加。ひとづくり、まちづくり事業に取り組む。2002年、阿南青年会議所 第36代理事長、初の女性理事長となる。その後、国や徳島県、阿南市などの委員を歴任。
2011年、東京に拠点を置き、徳島県のサテライト・オフィス事業に関わる。2016年、徳島に戻り、徳島県が主催する女性起業家支援事業に携わる。
現在は、総務、経理、ITサポートなど自営業者のビジネスサポートを中心に、人と人とのマッチングによるビジネスマリアージュに取り組んでいる。
── 中川さんはここ数年来、「インターミディエイター」としての学びや活躍を続けていらっしゃいます。この考え方に出会ったきっかけは?
中川: 2016年まで、私は東京で仕事をしていたのですが、その間に、株式会社ダンクソフトさんとの交流がありました。東京をおいとまして徳島に戻る時に、星野晃一郎社長に最後のご挨拶に伺ったときです。 “桐子さんは天然のインターミディエイターだね”と言われたのが、「インターミディエイター」という言葉に出会ったきっかけでした。
初めて聞く言葉でした。あいだに入って、いろいろなことを媒介する「あいだの知」としての役割があるのだとお聞きしました。ただ、“天然の”と言われても、その時には意味が分からなかったんです(笑)。確かに、2011年にダンクソフトさんが徳島の神山町にサテライト・オフィスをつくる際に、地元の人たちとダンクさんを結ぶ動きをお手伝いしたのですが、そうしたこともインターミディエイターとしての行動だよ、とのことでした。
── 別れ際での出会いだったのですね!
中川: そうなんです。もう東京を離れるんだけど…と残念に思いながら、その言葉が深く心に残りました。私が無意識にやっていたこと、面白いと思うのでやっていたそのことが説明されている学問があることに、すごく衝撃を受けました。
その後、徳島に戻ってしばらくして、ダンクソフトさんによるサテライト・オフィスの推進プロジェクトの延長で、設樂剛先生が徳島県神山町にいらっしゃることになりました。物語の講座をしてくださるということで、もう一も二もなく参加しました。それが最初に設樂先生の考え方に出会った機会でした。2017年の秋の頃です。
── 印象はいかがでしたか?
中川: それが…その時には正直よくわからなかったんです(笑)。でも、すごい考え方だなあということはわかりました。それからちょうど1年後に、「インターミディエイター講座」があるとご案内いただき、それを学んでみようと、東京での2回の講座に参加しました。そして、その年は、インターミディエイターの「サーティファイド・プログラム」という認定制度が始まった年で、私も参加し、インターミディエイターの認定をいただき、いまに至ります。
── 最初に言葉に出会ってから、8年がたっているのですね。
中川: この講座は、受けて終わる、知識を得て終わるというものではないことが、年々わかってくる、という経験をしています。新しい言葉を取り入れることは、自分の概念を変えること。今までの経験を、新しく学んだ言葉や考え方を使って置き換えて、再解釈することを意味します。つまり、今までとは認識を変えることになるので、年齢を重ねてきている私にしては、おそらく若い方々より、たくさんの作業が必要なことでした。
── いろいろな学びを重ねていくと同時に、実際にプロジェクトをやりながら考え方を実感・体感していくこともありましたか?
中川: そうですね、当初は「サーティファイド・インターミディエイター」という認定をいただいても、自分がインターミディエイターだと口にすることが、なかなかできなかったんですよね。それは、自分の中でまだ理解が不足しているから、説明ができなかったのです。きっと、天然がゆえに無意識でやっていることが多く、それが上手く言葉にできなかったのだと思います。
ただ、人と人とのあいだに立って、素晴らしい人達同士、あっちとこっちを結びつけることをすると、面白いプロジェクトが始まると感じていたようなことがあっただけで。でもそれが、やっと最近、去年ぐらいからなんですが、腑に落ちてきたなと自分に実感として染み渡ってきています。
── どんなきっかけがありましたか?
中川: 転機になったのが、これもまたダンクソフトの星野さんです。2011年に、徳島でサテライト・オフィス事業の実証実験が始まり、そのきっかけで竹内祐介さんが徳島市内にダンクソフトの徳島オフィスを立ち上げました。竹内さんとは情報交換のためにランチ会をするようになりました。その後、2019年には星野さんから、「インターミディエイター」としてダンクソフトのパートナーとして、協働しませんか、というお話をいただきました。即答でやらせてくださいと申し上げたのですが、何をするかイメージがその時は全くなく(笑)。竹内さんの傍らで、地元の人と結び目をつくる時にはサポートできればなという気持ちで、はじめてみました。
── 「インターミディエイター 徳島チーム」の誕生ですね。
中川: はい(笑)。そして、うねりというのは、ちょうどいろいろな方向から来るもので、またそのタイミングで阿南工業高等専門学校(以下、阿南高専)による新しいプロジェクトのお話がきたんですね。当時、阿南高専としては、イノベーションが起こる出島のような場を、地域とともにつくりたいと考えていました。学生・教員・地域内外の企業が交流し連携して、学生とともにプロジェクトを行うという、ACT倶楽部(当初の名称、現AST倶楽部、以下AST俱楽部)がつくられようとしていました。教授やアクトフェローシップの会長さんから、ダンクソフトさんにご相談があるなかで、私も、インターミディエイターの役割として参加できることになりました。
── 「インターミディエイター」の役割で参加されるというのは、画期的なことですね。桐子さんは阿南市ご出身でいらっしゃいましたね。
中川: ええ、徳島県阿南市の出身で、阿南市にある県立高校を卒業しているんですけれども、 当時高校生の私にとって阿南高専は少し遠い存在でした。というのも、当時から国立で、入学時に学生は寮に入る仕組みがあって、なんだか隔絶された世界のイメージがありました。いま推進しているAST倶楽部が目指すプロジェクトは、地域と交流するもの。先生方のそのビジョンは、インターミディエイターの考え方そのものだなと思いました。枠にとらわれないあいだのゾーンであって、どちらでもない存在を持つ私が、外部のものとしての立場で関わるのは大変重要なことだなと、お話を聞いて即座に思いました。
―― 阿南高専さんとしても、異なるアクターたちが関わりながら、そこから何かイノベーションを起こしていこうという目論見をお持ちでしたね。
中川: そうですね。学生さんは基本、16歳から20歳までが学校に通い、さらに専攻科に行くと、大学卒業ぐらいの年になります。学生生活は、かなり決まった人としか会わない空間だと思うんです。ですので、面白い大人はたくさんいるよということを学生さんたちに見てもらいたかったんです。
しかし、企業の人も身構えているし、学生さんはかしこまっているし、先生は学生さんのために尽力している。最初は立場や考えなどいろいろな差異があるから、その関係の中に、私というインターミディエイターがいることで、3者間の差異を埋めて、もう少しフラットに関係を築けるように対話できる場づくりをと、心がけています。
インターミディエイターとして、「どちらにも与しない」、「あいだの知である」、ということを自分が自覚することが大事だと思っています。
── 多様なアクターがいる中で、学生でも、教員でも、地元企業でも外部企業でもない桐子さんが、「インターミディエイターとして」、その“あいだ”にいらっしゃる意味が大きいのでは? 現在はどんな活動をされていますか?
中川: 低学年の1~2年生が参加する機会が増えても、今度3~4年生になってくると、就職などいろいろな活動を持つようになるので、継続的に積み重ねていくことはなかなか難しいと思っています。ですが、学生のスケジューリングとご要望の中で、私にできる「結び目づくり」を心がけています。私的には学生にあまり負荷をかけたくないんです。 AST俱楽部という協働の場が「ただそこにある」ということを続けることも、ひとつの役割だと思っています。
── 学生と協働した“桐子プロジェクト”があったと聞きました。
中川: ええ。初年度は、IoTを活かして昭和の家具を再生するプロジェクト(dunksoft.com)に取り組みました。建築科の学生さんと情報科の学生さんとが参加し、途中で県内企業の社員さんが協力してくれ、結び目を増やしました。
中川: これが一体何になるのか、学生さんたちは今すべてを理解しているとは思っていません。ただ、この後、5年後、10年後、何か人生の節目などに、ここで見た光景が何かのきっかけになって、あ、こういうことできていたなと思い出してくれたら、それは私としてはすごく嬉しいことです。
たとえば他にも、一昨年前に、阿南市の市長さんにお越しいただいて、学生と対話の会を実現しました。大人は一切口を挟まない環境をつくり、学生さんだけが市長と話せる場にしました。その中で、市長さんも心を開いて学生さんと向き合ってくださり、学生さんも、質問が良い悪いなど一切言われない状況下で対話する機会を持ちました。これも、学生にとってひとつの経験値になって、こういう市長さんがいたことが、彼らのどこかに残るのではないかと思っています。
── 学生さんの自信がつきますね。今お話を聞いていて、インターミディエイターの中では「エンパワリング」というマインドセットがあります。簡単に言うと、「相手の潜在的な可能性を引き出す」ことです。学生さんとの関わりの中で、エンパワリングな場づくりをなさっているのではないですか?
中川: はい、すぐ今日明日に結果が出るものだけではないですよね。長い時間かけてやっていくことでもあるので。後で分かるよねという気持ちで、いつもやっています。
── それから、桐子さんは「網の目と結び目の場づくり」を心がけているとのこと。そのために気をつけていらっしゃることや、大事にしていらっしゃることは?
中川: 結び目をつくることは、次のステップにつながる重要なファクターだと考えています。機会をつくることそのものです。そこに、いろいろ意図が入ってはいけないなと思っています。作為が入ると、それはつまらない計画になってしまい、予期せぬ創発やイノベーションが生まれづらくなります。
なぜイノベーションが必要かというと、今は戦争を“する・しない”とか、選挙に“行く・行かない”とか、この仕事を“やる・辞める”とか、2つのことから選択することが多く、そういう行動のなかで私たちは生きてきています。けれども、2つに分けるのではない、「3つ目の答え」があることで、自分の選択肢も広がるので、生きることが楽になるし、仕事も楽になるとイメージしています。3つ目の答え、4つ目、5つ目の可能性があることは、インターミディエイターの学びで、「多元的思考」といいます。この思考法を発揮することで、息苦しさが減ると思うんです。こういうことを、特に若い学生さんに接するときには心がけていて。“なぜ”、“他には?” 、 “どうして?” と問いながら、2分法ではない可能性を、彼らの心の中に残したいなあと話をしています。
── なんでも2つに分けて考えることは「2分法思考」。そうではない、「3分法思考と多元的思考」が創発・イノベーションを生むということを、インターミディエイター講座で学びますね。これを、実際にプロジェクトの中で、学生さんとの関わりの中で活かされているのですね。
中川: AかBか、2つのあいだで悩んでいるから葛藤してしまうことがあります。ですので、3つ目、4つ目の解を出すということが、すごく大事な視点です。これから、自分が徳島県阿南市で生きていくために、こういう考え方を持ったソーシャル・ビジネスを考えていこうとしています。
── 今後のプロジェクトですね。故郷・阿南市で、“網の目と結び目の場づくり”をなさろうとしているのですね。
中川: そうなんです。多様な仲間を増やして、自然発生的に色々なところでソーシャル・ビジネスが生まれるようにすることが、取り組みたいプロジェクトです。集まる場づくりがひとつテーマですが、阿南にある実家のスペースに、なにかリビング的な、オフィス的な場所を設けて、そこにリアルでもオンラインでも、地元も遠くも、いろいろな方々がたまたまその時間帯、そのタイミングで、同じテーマで集まって対話ができるような場をつくりたいと思っています。そこから新しい小さなビジネスが生まれてくることを、私はホクホクしながらサポートすることが、プロジェクトのイメージですね。
── 楽しそうですね。ホクホクしながら(笑)
中川: それが楽しいんですよ。昔はこういうお話をしても、理解していただきづらかったんです。今だから、このインターミディエイターという学びを得られたから、これを理解してもらえる人たちに出会えています。出会えたから、こうしたイメージがビジネスになることを、私は知ることができました。
── 「インターミディエイター講座」を修了した後も、有資格者のラーニング・ネットワークである「サーティファイド・プログラム」に参加されています。
中川: このサーティファイドの人たちが集まる月に1度の「インターミディエイター・デイ」も大好きで。日頃の仕事で懸命にやればやるほど、目の前のことに引きずられて、思考回路が従来型の感じになって、元に戻るんですね。基本、肌のお手入れも3日で戻るって言われますけれども(笑)、思考も同じだと思うんです。だから毎日やるに越したことはないけれども、そう心がけていても、やはり心が疲れたりすると、第1カーブ的な従来型の思考に引っぱられてしまう。せっかく強いリーダー不要論を学んではいても、フォロワーになってしまうこともあります。それがリセットされるのが、毎月の「インターミディエイター・デイ」だと思っていて、できる限り参加しています。
── 集まっているメンバーとのダイアログも、すごく温かいですよね。
中川: 皆さんとのダイアログから、自分が煮詰まっていると思っていたのは、ただ単に2分法思考に陥っていただけだったと気が付くことができます。目線を変えるとか、視点を変えて相手の方の立場なったらそう言うよねって思うことで、日常のトラブルから離れられ、解消できる場になっています。
── そうすると、毎月「インターミディエイター」のことを考える日があって、それをもってまたいつもの日常や、ご自身のプロジェクトに戻っていくわけですね。行ったり来たりしながらやっていくことが、何か学びが進むきっかけなのでしょうか。
中川: 昔から、人のふり見て我が振り直せということわざがあるんですよ。それはその人の立場になることもあるけれども、私も同様に何かに陥っていることを自覚することで、そこから相手の方も一緒に脱却できる何かができるかもしれないとか。日常業務のお客様対応のプロジェクトでも、めちゃめちゃ活かせています。
── よくインターミディエイターって難しいですねとおっしゃる方がいらっしゃいます。これから講座を受けたい方や検討している方で、自分には難しいかと感じる方へ、ぜひメッセージを。
中川: 難しいと感じるということは、言葉を受け取っているのだと思うんですね。そもそも、インターミディエイターの考え方に遠い人は、その言葉に惹かれたりしないし、難しいとも思わないですよね。また、“多元的思考?僕もやっているよ”といように、軽くおっしゃる方は、そもそも“あいだに立つ”意識への優先順位が低いと思うんです。だから、難しいですねっておっしゃる方は、じゃあ向いていますねって、私なら言いますね。その難しいと思っていることを乗り越えるために学ぶんですと、伝えてさしあげたいです。
── 興味があるから難しいと感じている、という解釈は、なるほどです。
中川: 超えるためには「多元的思考」が必要だし、「対話能力」が必要で、未来を描くためには「物語能力」が必要だし、そのためには「エンパワリング」と「エンゲージメント」で自分自身も意識や言葉を変えていく必要があるから。もし難しいと思っているならチャンスです。挑戦してみましょうっていう感じですね。今年じゃなくてもいいし、例えばオープニングだけ受けてみるのもいい。秋の「インターミディエイター・フォーラム」に参加してみるとか、機会を得てまず関わってみると、そこから始まるんじゃないかなって。
特に、この会は誰も強制しないし、何も求められてこないので、そこは自分のやりたい気持ちや、難しいと感じながらも興味があることを大切にしたら、すごく面白いと思います。“難しい”を“面白い”に言い換えることが、多分できると思います。
── 「インターミディエイター講座」やプログラムのみならず、この8年間に、世界構想プログラムの別の講座にも、上手にご自分のペースで参加されています。「生命論マーケティング」や「物語の結び目会議」や「ナラティブウェア」の講座から、何かお好きな言葉や概念はありますか。
中川: 「ナラティブウェア」を学んだ時に、最初、物語はストーリーを書くことだという認識でした。それが、そうではなく、“ナラティブウェア”というひとつの概念であると、昨年学びました。
私は30代や40代の頃に、事業計画に苦しんできたんですよ。基本的には、企業が補助金など公的なものに関わろうとすると、事業計画書というものが必要でした。新しいことは始めたいし挑戦したいのですが、雇用したり事業の拡大を目指して事業を計画したいわけではないのです。でも求められるのは、何をするかの中身よりも、どう予算をつくっていくかの計画でした。それが納得できなくて、事業計画を提出しませんでした。
そんなわけで、今まで事業計画が大嫌いだったんです。けれども、「ナラティブウェア」では、例えば10年後を描いて、そこに向かうためにこうしていこう、自分の不足しているところがあれば、他の方と結び目をつくってやっていこう、そうやって未来を描いていけばよいと学びました。インターミディエイターの仲間は、規模の大小にかかわらず、そこにソーシャル・ビジネスの目があることを認めてくださるので、私にとっては自分の今まで考えてきたことが肯定された経験でした。インターミディエイターという学問で、私の行動が説明されたと思っているので、学びのすべてが有意義です。
── そんな桐子さんに、これからの挑戦を聞いてみたいと思います。少しお伺いした阿南市での“新たな場づくり”は、挑戦のひとつですか?
中川: そうなのですが、その場所は私にとっては、ひとつの結び目であって、固定する気は全くないんです。いろんな所にいたいですし、興味がある所にいたいし、その人たちと繋がっていたい。それが、ひいては、自分が暮らす阿南という街の、結び目がある仲間とのつながりの中で活かされていくことにつながると考えています。
私自身は、その場所で、こんな事業を立ち上げたいとプレゼンテーションをすることは向かないのでやりません。ただ、そういうことができる方たちがいるので、私はあいだからサポートをするだけ。その場から、みんなのためになるプロジェクトが生まれ、うまくいくようなサポートをしたいと考えています。それが、私自身がインターミディエイターと名乗り、スモールビジネス・サポーターと名乗っているゆえんです。総務・経理、事務、接客、会計、IT…、いろいろなところで培ってきた経験で、他者をサポートしたいと思っています。
こういう発想に至れたのも、「インターミディエイター講座」で結び目が広がって、いろいろな方と仲間関係ができたことが、大きな力になっています。ですので、仲間をもっともっと増やしたいですし、今はもうライフワークのように感じています。
── 桐子さんの言葉でいうと、インターミディエイターはどんな役割の人だと、表現しますか?
中川: インターミディエイターとは、まさしく「あいだの知」。それで、様々な人たちとの関係を結ぶ「結び目」の役割であり、その結び目がチャンスや機会になり、偶発的に場所や人、モノ・コトを結んで、イノベーションを起こす。そのための、最初の結節点となる役割だと思っています。インターミディエイター・プログラムに参加している方々には、また多様な人たちがいます。みんなそれぞれの個性を活かした活動をしているので、今申し上げたのは、私にとってのインターミディエイター。私は「はじまり」が好きなんです。だから「はじまり」を見ているインターミディエイターでいたいなと思っています。
── これからインターミディエイターを学ぼうという方に、何か一言メッセージをいただけますか。
中川: ぜひ学んでいただいて、いろんなお話を聞かせて頂きたいですね。対話を重ねて、またみなさんのプロジェクトや事業が、どのようにイノベーションを起こしていくのかが、私には大変興味があります。是非一緒に学びましょう。
── 最後に。これから、どんな社会になっていけばいいとお考えですか。これからの未来に向けた願いやイメージをお聞かせいただけますか?
中川: やはり争いはあると思うんですけれども、みんなが安全に日常を送れるように、いろいろ対話を重ねて協働を重ねて、どんな人も笑顔で暮らせるような社会。大きな世界から変えていくのは難しいので、自分の身の回りから変えていきたいですね。皆さん、それを身近な人とはやっていると思います。それを、さらに“結び目”を広げて、“関係の網の目”をつくれたら、世界がそのような意識に変わるんじゃないかなと思います。
話す内容は、また時を経て変わっていくと思うので、これからも、いろんな人と会って、対話を重ねていきたいなあと思います。
(2024/4/6, ダイアログと文:松原朋子)
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